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「grit」とは英語で「やり抜く力」の意味。
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It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
-John Stuart Mill (1806-1873) -

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カテゴリ: ワーホリ

私のワーホリを語る際に絶対外せない二人がいます。
DaveとElisieです。
私は当時二十歳過ぎの若造でしたが、彼らは50代くらいでした。ひょっとしたら60代だったかもしれませんが、失礼なので年齢は聞きませんでした。
とにかく親切で思いやりがある人たちで、自分を昔からの友達のように扱ってくれました。

この二人にはBritishi ColumbiaのKelownaにある小さな工場で出会いました。
その工場は果物や野菜の集荷場で、Angeloというイタリアの移民の方が経営していました。
その仕事が秋から冬にかけて忙しくなるということで、Angeloの知り合いのDaveとElsieはその期間の間だけ手伝いに来る感じだったみたいです。
私は、以前ファームステイしていた所で野菜・果物の収穫が全て終了し、そこのオーナーに紹介してもらったのがこの工場でした。
小さな工場ですし、和気あいあいとしていいところでしたね。
職場に一人メチャクチャ陽気な女性もいて、面白いことにこの人は仕事中の8時間延々と話し続けていました。ウチの母親といい勝負ですわ。
みんなは、嫌がる様子もなくうんうんと話を聞いていましたね。

どうでもいいことなんですけど、少しお金を貯めたいと思っていたので、Angeloに「もう少し仕事がしたい」って言ったことがあるんです。
彼が「Why don't you come to work at night?」みたいなことを言われたのですが、why don't youって「~したらどうだい」みたいな意味じゃないですか。
そこでwhy don't youって言い方おかしくね?って思った記憶があります。
何か上から目線で言われた気がして、一瞬イラっとしました。
まぁ、自分が頼んでたんだから、そうやってボスに言われるのも普通かしら?

彼らは農場から運ばれてきた野菜や果物を箱詰めし、私はその箱詰めされたものを出荷用のパレットに載せるのが仕事でした。
基本私は寡黙に仕事をするのが好きだったので、少し単調ではありましたが私の性に合っていたと思います。
そんなバックグラウンドです。

DaveとElsieに親切にしてもらったエピソードは色々あります。

私はKelownaに着いた当初、ユースホステルに宿泊していました。そのユースホステルから毎日自転車通勤していたのですが、距離が意外にあって辛かったです。30分~40分かかっていたと思います。
ある日、そことの契約も終了し、仕事場近くに宿を取ろうとサンドバッグほどの荷物を背負って自転車で移動していました。
私の予定では、荷物を持って仕事場に行き、帰りに近くの宿を見つけてその日の晩からそこに住むという完璧なシナリヲを思い描いていました。

私は細身でしたが、サッカーで体を鍛えていたので体力には自信がありました。
しかし、サンドバッグ、いや荷物が重過ぎてバランスがとれない!
フラフラになりながら、時にはチャリを止めながら、通常自転車で40分かかる道のりを仕事に向かっていました。
私は日本人の誇りとして、絶対に仕事に送れないプライドを持っていました。
「やばい、初めて遅刻する。俺は日本代表なのに。」と心配になりながら、半分遅刻を覚悟していました。
どーでもいいことですけど、なぜかカナダにいる時自分は日本代表で、勤勉な日本人を意識していたんです。
今でも勤勉は美徳という意識は持ってますけどね。
ただ、勤勉と能力(脳力)が今の職場で伴ってないのが、私が残念なオッサンと認めざるを得ないところでしょう。

とにかく、長ーい道のりを自転車を漕いだり疲れて歩いてたりしてるところに、見たことのある赤い車がpull overしました。
ひょっとして、と思ったらやっぱりDaveとElsie夫婦でした。
それまで職場で必要以上に話したことは無かったのですが、お互いのことは知っていました。
私が事情を話したら、Daveは私と自転車とサンドバッグを載せて仕事まで連れて行ってくれました。
お陰で仕事に間に合い、私の日本代表としてのプライドは保たれました。
あそこでDaveが私のことに気付いて車に乗せてくれなかったら、仕事はもちろん遅刻していたでしょうし、あの長い道のりを延々と自転車を引きながら歩いていたと思います。
知りあい程度の同僚にも親切にする、これが初めてDaveとElsieの優しさに触れた出来事です。

初めてと書きましたが、実は私が意識していないところでDaveとElsieはいつでも親切でした。
私がAngeloの工場で仕事を始めてから彼らは毎日私を昼食に誘ってくれました。
私はワーホリの貧乏青年でしたから、レストランで食事なんてとんでもないので毎回断っていました。
断るとは分かっていても、必ず毎日誘ってくれました。
それもやはり親切ですよね、声かけの。
ちなみに彼らは「Are you having lunch here?」と必ず言っていました。
今思えば何ともないのですが、何で現在進行形なんやろう?ってずーと気になってました。

彼らの怒涛の親切心(日本語正しい?)は、私を仕事場まで送ってくれたその日のまさに夕方に起こりました。
DaveとElsieは私が止まる予定にしている宿(カナダではモーテルの一室を1週間とか1カ月単位の契約で借りられる)に彼らの車で載せて行ってくれるというのです。
先ほど書きましたが、私はユースホステルとの契約が終わっていましたので、仕事場の近くに住む宿を見つける予定でいました。
宿なんていくらでもあるし、すぐ見付かるやろくらいの気持ちでいました。
しかし!どこも満杯で全然見つからない。
Kelownaはカナダにしては温暖で、ちょっとした観光地らしいのは知っていました。
でも、宿が全く取れないとは寝耳に水・晴天の霹靂・弘法も筆の誤りです(日本語合ってる?)。

自分の計画性のなさに、激烈な恥ずかしさを感じながらDaveとモーテルのカウンターに立っていたのを覚えています。
とにかく、そんなことをしていても宿を探さないといけません。
DaveとElsieと無計画日本人(うおー、日本人代表!)の三人は色々モーテルを巡りました。
でも、本当に宿が見つからない!Kelownaってそんなに有名なん?

その日は結局宿を諦めました。とういか諦められました。
というのも、DaveとElsieが「今晩はウチで泊まれよ」って言ってくれたからです。
若干、「その言葉待ってました!」的なところがありましたが、本当に迷惑をかけ過ぎて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
もちろん彼らには本当に感謝しました。

彼らの家についたら家がデカ―イ!
Daveは大工のような仕事をしていたらしく、引退はされていましたが、アトリエみたいなものを所有しており、何か作品を作っていてそれを見せてくれました。
Daveが説明をしてくれるのですが、私は持ち前のリスニングの悪さでそれが何かは分からず。
夕食はElsieが作ってくれておいしかったのを覚えています。
夕食後はのんびりテレビを見ながら過ごしました。
日本で言う「お宝探偵団」的なものをやっていました。
金額を見て、普段は優しく物静かなElsieが「Holy smokes!」と叫んでいたので、私はこの表現を一発で覚えました。
そんな風に温かな雰囲気で、その晩を過ごさせてもらいました。

次の日起きて朝食を頂きました。
カリカリのベーコンを初めて食べたのですが、アレは本当に美味しくて気に入りました。
そのまま、三人で仕事場に行き、仕事が終わったらまた宿探しを彼らは手伝ってくれました。
結局、4・5軒回ってようやく見つかって、安心した記憶があります。
もちろん、Daveたち二人に迷惑かけちゃって申し訳ない気持ちも。
モーテルのオーナーとの契約の交渉も彼らがやってくれました。
おかげで(もともとそうなんやけど)1カ月の長期滞在のディスカウントも得られました。

実はそこのモーテルのオーナーが胡散臭いオッサンで、色々ちょろまかそうとするヤツなんです。
私の1カ月の滞在が終了して、少し延長する必要があったんです。
それで、1週間だか2週間だかの滞在延長をお願したんです。
私はそこでも割引が適用することを知っていました。
でもそのオーナはそんなのないよ、って言ってきたんです。
私はリスニング力はヤバかったのですが、リーディングは得意だったのでその辺のことは、契約書か案内か何かを見て知っていたんです。
はぁウソこけ?って思ったんですが、そこは日本代表です、分かりましたって引いちゃったんです(笑)。
もちろん納得しないですし、腹は立ってました。
それを、Daveたちに話したら、彼らがオーナーと交渉してくれました。
で、割引ゲット!
アイツはやっぱりクソオーナーでした。
こんな風にまたしてもDaveとElsieに助けられた日本代表でした。

その後のDaveとの会話をよく覚えてます。
私が「アイツ(モーテルのオーナー)は信じられないヤツだ」って言ったら、Daveは「そうか?アイツは勘違いしてただけだろ?」って言うんです。
Daveって人を疑わないのかなって思いました。
本当に心の清い人です。イライラしてた自分が恥ずかしくなりました。

宿探しの話に戻りますが、もし本当に宿が見つからなかったら自分はDaveとElsieのところにホームステイしていたと思います。というか、思えます。
彼らの子供たちも独立していませんでしたし、その後の私たちの付き合いから考えても、それぐらいの提案をしてくれるような人たちですからね。

そんなこんなで、2ヵ月ばかりの仕事も全て終了が近付き、最終日がやってきました。
その日は偶然私たち3人しか勤務しておらず、しかも仕事が昼前まででした。
ちょうど昼ご飯前になっていました。
Daveが「Are you having lunch with us?」
といつものように声をかけてくれたので、私は初めて、「Yes!」と返答しました。
同じ職場で仕事をして2ヵ月間ずっと、Daveたちの問いかけに「No, thank you.」と答えていましたが、最初で最後のことでした。

私たちは中華料理店で昼食を取りました。
カナダもアメリカも中華料理って普通に美味しいんですよね。
私が箸をひょいひょい使うので、それを見て「オマエ、凄いな」って子供のようにびっくりする姿を見て私も笑いました。
そんな風にKelownaに来て以来、私は誰かと初めて一緒に昼食を食べました。
帰りは少しだけKelownaの観光に連れて行ってくれました。
2ヵ月そこに住んではいましたが、ゆっくり見て回るのは初めてでした、しかも、素晴らしいガイド付きで。

帰りは車で送ってもらい、「困ったらいつでも連絡してくるんだぞ」と言ってくれました。
私はその言葉に感謝を言い、その日はお別れしました。
私は今でもそうなのですが、性格的に誰かに頼るとかが本当に苦手で、できなくても効率が悪くても自分で全てやろうとする悪癖があります。
なので、雪道を歩いて買物に行ったり、ネットが無料で使える図書館へ歩いて行ったりしていました。
知り合いもDave達意外いなかったので、時間がある時は基本的にモーテルに籠ってました。
なので、結局DaveとElsieに連絡することもなく毎日を過ごしていました。

そう言えば、仕事の最後の日にDaveに「キミの仕事は丁寧できれいだ」と言って貰えたのは最上の喜びです。
私は日本を背負っているつもりで(本気でね)仕事を毎日していましたらから、それが認められたからです。
しかも、自分が尊敬するDaveから言われたんですからね。


ある日、彼らから連絡があって昼ご飯にまた行こうという誘いを頂きました。
で、例の中華料理店に行きました。
また、中華かぁと残念な気持ちもありましたが、彼らと取れる食事はおいしかったです。
Daveが「何で連絡して来ないんだよ」って冗談で言っていましたね。
私は「I'm lazy these days, so I have to excercise.」みたいなことを言ってごまかしてました。
私ももっと人に頼るのが上手だったらよかたんでしょうけどね。

彼らとの最後の日はクリスマス直前でした。
私はアメリカのカリフォルニアに行くことになっていましたんです。
彼らは私の送別会を兼ねたパーティーをするから遊びにおいでよ、と誘ってくれました。
そして、パーティー終了後はグレイハウンドに載ってアメリカ向かうという流れでした。

昼前に彼らの家に着いたら娘さんがいて挨拶をしました。
後で彼女はまた登場しますが、この機会に一度だけですが彼女に会えたのは後々本当に役に立ちました。

DaveとElsieの家ではとんでもない量の昼食を食べました。
食べても食べても出てくる出てくる。
中学生の時の英語の先生が「外国では「もういいです」といわないと、無限に食事が出てくる」と言われていましたが、まさにそれを実感した瞬間でした。
私は出てくるものをとにかく食べ続けました。
と、思ったら次は夕食。
美味しそうですがもう食べられないと思い、夕食が出てから「No, thank you.」と言ってしまいました。
今思えば、昼食を減らして夕食を頂くのがマナーだったとは思いますよね。
優しいElsieに申し訳ないことをしたという思いがいまでも残っています。

そう言えば、Elsieには英語の書き方も学びました。
彼女は銀行で働いていた経験があるらしく、正しい書き方をよく知っていました。
私がVISAの関係で書類を官公庁に提出する際手伝ってくれました。

楽しい時間もいよいよ終わり、カナダを去る時間がきました。
Elsieは少し体調を崩してしまい、Daveだけがグレイハウンドのターミナルまで送ってくれました。
そう言えば、Elsieは当時体調を崩しがちで、仕事もたまに休んでいました。

彼らは大型のトレーラーを所有しており、それに乗ってこの冬にはメキシコに行くと言っていました。
アメリカに自分は行くし、近いと言えば近いかな、みたいなどうでもいいことを考えてた記憶があります。
私を車から降ろし、別れを告げるとDaveは行ってしまいました。
何か大切なものを失ったようで、普段は人との別れが平気な私も少し寂しい気持ちになりました。

本当に彼らにはたくさん助けてもらい、たくさんの思い出をもらいました。
彼らの優しさに触れ、私も将来そんな人間になっていかないといけないと強く思ったものです。

私はワーホリの最後はBanffに住んでいました。
いよいよ帰国の時が来ましたが、やっぱりDaveとElsieにだけは最後に会いたい、と思っていました。
どうしても会って感謝を告げたくて、どうせなら彼らを驚かせたいと思い、内緒でBanffからKelownaまで向かいました。
バスでどのくらいだったか忘れてしまいました。

Kelownaには昼間に着きました。
いよいよ彼らに会えると思うと、いてもたってもいられませんでした。
でも、電話をかけると不在。
おかしいやろ、何で昼に家におらんのやと思いました。
何回かけても不在です。

私は、頭は悪いのですが、思い立ったら行動力があります。
Angeloの工場で一緒に働いていた人がスーパーの店員だったのを思い出し、その人に助けてもらうためにスーパーまで行きました。
こうなったら彼にDaveたちの家の場所を聞き(彼が知ってればやけど)家まで行こうと考えたのです。
彼は背が低くポッチャリさんですが、目がクリクリしててオッサンなのにかわいらしい感じの人です。
フレンドリーなのですが、何せ早口で言ってることがよくわからないのであまり話したことはありませんでした。
でも、私が職場で休憩中一人でいると「一緒に話そうぜ。もっと社交的にやろうぜ」みたいな声をかけてくれた人でもあり、親切だとは思っていました。
彼の早口は気になりますが、自分はもう帰国する身だし、とにかくDaveとElsieに最後一目会って感謝だけでも伝えたいと思ったので、彼を頼ろうと考えました。

スーパーに着き彼を探しました。
いた!一応一安心です。
これで何とかなるって思いました。
彼に事情を話したら、何とDaveとElsieはまだメキシコに旅行中とのこと...
その時の落胆ぶりは言葉では言い表せません。
ただ、彼は本当に親切な男で、私がDaveたちの娘さんのことを話したらイエローページみたいなものを取り出し、彼女の電話番号を調べてくれました。
仕事を中断してやってくれたんです。
珍しい名字だったせいか、うまい具合に娘さんの電話番号が見つかって電話をかけてみました。
電話の向こうからは彼女の声が。
今度は電話が繋がった!
彼女と話したら、やっぱり彼女の両親はメキシコに旅行中とのことでした。

その時はもう確か7月の頭。冬の間だけのメヒコじゃなかったの~?
彼らは仕事からは引退していたので、基本家にいると聞いていたのですが、私の読みは甘かったようです。

とにかく、私がなぜまたKelownaにいるのか、あなたの両親に感謝してもし切れない、日本に帰るが最後に感謝の気持ちを伝えたかったことを下手クソな英語で繰り返し繰り返し伝えました。
ただ、その時の私は本当にそれでも気持ちが収まりませんでした。

先述したように彼女にはお別れパーティーで面識があるので、私がどんな人間で彼女の両親にどんな思いを抱いているかは理解してもらえたように思います。
あそこで会っていて本当によかったです。

彼らと再会し、一緒に食事をし、ありったけの感謝の気持ちを伝えるという私の計画はものの見事に崩れ去りました。
これも全て私の計画性のなさの賜物です(日本語あってる?)。

スーパーの彼にも感謝ですよね。
仕事を中断して、自分のために色々取り計らってくれたわけですからね。
彼に「DaveとElsieに会いに来た」と言ったのは本当に無礼で申し訳なかったです。
最後に彼は、「おまえにまた会えて嬉しかったよ」と言ってくれました。
私はDaveたちに会えず落胆していたので、彼の言葉はあまり私の耳には届きませんでした。
「Me too.」くらい言うのが精一杯のところだったと思います。
こんなふうに、私は名前も聞かぬままの彼を利用してしまった感じになってしまいました。
そしてその彼に、このようにブログを書くまで20年近く感謝することも忘れたままでした。

結局再開は果たせませんでしたが、帰国後DaveとElsieとの手紙のやり取りで感謝を伝えられたのは、とりあえずよかったことです。

DaveとElsieからはには人として無限の優しさと親切に生きることの大切を学びました。
私のKelownaの生活は基本的に孤独でした。基本的に仕事中心の生活で、友達と呼べる人もいませんでしたから。
でも、彼らは一人の人間の心の隙間を見事に埋めてくれました。

彼らはのような人間になりたいと思いながら、蒸し暑い日本に私は帰国したのでした。

最近休日は、英検1級合格者との対談か、その伺った話の文字起こしばかりしています。
先週お二人からお話をお伺いしましたが、そのドラフトが完成し、現在内容のチェックをして頂いています。
次の対談は今日の夜からで、昼間は特に対談などの予定もないので、最近頭の中に留めていたワーホリの話を書いていこうと思います。

私がカナダにワーホリに行ったのはおよそ20年前。カナダでの一番の思いでを書こうと思ったら、なぜか当時寝たきりの祖母の話になってしまいました。

私がカナダにワーホリに行ったのはおよそ20年前でした。
ワーホリを決めたのは、日本で勉強していた英語をカナダで使いまくってみたいと思ったからです。
弟が当時アメリカに留学してたので、カナダとアメリカならヤツの所に遊びにいけるかなと考えてカナダに決めました。
実際カナダから2回遊びに行きました。

当時祖母がほぼ寝たきり状態になっていて、フリーターをしていた自分が昼間面倒を見る感じでした。
もちろん祖母の状態はよくはならず、ワーホリも一旦諦めようかなと考えていました。
まだまだ若かったですし、チャンスが無くなる訳ではなかったからです。
その年の5月にカナダに行く予定にはしていて、母も当然それは知っていました。
そんな母が「祖母の面倒は私が見るから、チャンスを逃さず行って来て欲しい」と背中を押してくれたので、行くことに決めました。
ただ、祖母の介護を初老の母が一人で全てやってくのは大丈夫かなと、メチャクチャ後ろ髪を引かれました。

結局祖母は、その数カ月後の8月に亡くなってしまいました。

あと数カ月日本で祖母の世話をしていたら、亡くなるのを見守ることができたはずですし、その数カ月間だけでも母一人に介護を任せてしまった申し訳なさもありました。
不謹慎ではありますが、これで祖母も苦しむこともなくなりました。
毎日夜中に体が痛んでいたようで、悲鳴をあげながら泣いていましたからね。本当にかわいそうでなりませんでした。
また母が一人で介護をしなければならない状況から解放されたんだなという安心感みたいなのも同時にありました。

私は3人姉弟ですが、孫が全員祖母の葬式に参加できなかったのは、悲しいのやらおかしいのやらです。
姉は出産で病院に、私はワーホリでカナダに、弟は留学でアメリカにいましたからね。
他人からしたら何でこの人の孫が全員いないのかと不思議がられたに違いありません。

実は私が祖母の死を知ったのは、葬式が終わってから週週間後でした。
私はBritish ColumbiaのOliverってところでファームステイをしてました。
当時はケータイも今ほど一般的ではなく、というより全然してなかったでんですそこは、Oliverは。
私はテント生活を送っていたので(ファームステイする人はテントで生活することがそこでは多いんです)、ネットも全然使う環境になく、電話不精(こんな言葉ある?)1~2週間に1回電話するくらいだったんです。
で、久しぶりに家に電話したら、実は祖母も亡くなっていて葬式も全部終わった後だった、といういきさつです。
ただ、先に述べた理由で、あまり悲しいという感情は沸かず気持ちは落ち着いていましたね。

こんな感じで私のワーホリ当初は祖母の死が切っても切れないものとなりました。
母は母で、今だにあの時のことを思い出しながら会うたびに感謝の言葉を述べてくるからホント困ってます。
自分もいい歳したオッさんだから、あの時のことはもういいでからっていいながら。


最初はもっと他のことを書こうと思っていましたが、書いていったら祖母の話になってしまいました。またワーホリでのエピソードを書いていこうと思います!

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