最近休日は、英検1級合格者との対談か、その伺った話の文字起こしばかりしています。
先週お二人からお話をお伺いしましたが、そのドラフトが完成し、現在内容のチェックをして頂いています。
次の対談は今日の夜からで、昼間は特に対談などの予定もないので、最近頭の中に留めていたワーホリの話を書いていこうと思います。

私がカナダにワーホリに行ったのはおよそ20年前。カナダでの一番の思いでを書こうと思ったら、なぜか当時寝たきりの祖母の話になってしまいました。

私がカナダにワーホリに行ったのはおよそ20年前でした。
ワーホリを決めたのは、日本で勉強していた英語をカナダで使いまくってみたいと思ったからです。
弟が当時アメリカに留学してたので、カナダとアメリカならヤツの所に遊びにいけるかなと考えてカナダに決めました。
実際カナダから2回遊びに行きました。

当時祖母がほぼ寝たきり状態になっていて、フリーターをしていた自分が昼間面倒を見る感じでした。
もちろん祖母の状態はよくはならず、ワーホリも一旦諦めようかなと考えていました。
まだまだ若かったですし、チャンスが無くなる訳ではなかったからです。
その年の5月にカナダに行く予定にはしていて、母も当然それは知っていました。
そんな母が「祖母の面倒は私が見るから、チャンスを逃さず行って来て欲しい」と背中を押してくれたので、行くことに決めました。
ただ、祖母の介護を初老の母が一人で全てやってくのは大丈夫かなと、メチャクチャ後ろ髪を引かれました。

結局祖母は、その数カ月後の8月に亡くなってしまいました。

あと数カ月日本で祖母の世話をしていたら、亡くなるのを見守ることができたはずですし、その数カ月間だけでも母一人に介護を任せてしまった申し訳なさもありました。
不謹慎ではありますが、これで祖母も苦しむこともなくなりました。
毎日夜中に体が痛んでいたようで、悲鳴をあげながら泣いていましたからね。本当にかわいそうでなりませんでした。
また母が一人で介護をしなければならない状況から解放されたんだなという安心感みたいなのも同時にありました。

私は3人姉弟ですが、孫が全員祖母の葬式に参加できなかったのは、悲しいのやらおかしいのやらです。
姉は出産で病院に、私はワーホリでカナダに、弟は留学でアメリカにいましたからね。
他人からしたら何でこの人の孫が全員いないのかと不思議がられたに違いありません。

実は私が祖母の死を知ったのは、葬式が終わってから週週間後でした。
私はBritish ColumbiaのOliverってところでファームステイをしてました。
当時はケータイも今ほど一般的ではなく、というより全然してなかったでんですそこは、Oliverは。
私はテント生活を送っていたので(ファームステイする人はテントで生活することがそこでは多いんです)、ネットも全然使う環境になく、電話不精(こんな言葉ある?)1~2週間に1回電話するくらいだったんです。
で、久しぶりに家に電話したら、実は祖母も亡くなっていて葬式も全部終わった後だった、といういきさつです。
ただ、先に述べた理由で、あまり悲しいという感情は沸かず気持ちは落ち着いていましたね。

こんな感じで私のワーホリ当初は祖母の死が切っても切れないものとなりました。
母は母で、今だにあの時のことを思い出しながら会うたびに感謝の言葉を述べてくるからホント困ってます。
自分もいい歳したオッさんだから、あの時のことはもういいでからっていいながら。


最初はもっと他のことを書こうと思っていましたが、書いていったら祖母の話になってしまいました。またワーホリでのエピソードを書いていこうと思います!